胸のうち告白  元気・・・かな?

家族に電話をすると、「元気か〜?」と聞かれ
決まって「元気やで〜」と答えているのだけれど
一度「ホンマに元気か?無理して楽しそうにしてへんか。」という言葉が
かえってきたことがあって、少しドキッとした。


・・・・・・2年前・・・・・・
韓国で、私の「初めての海外生活」がスタートした。
しかし、すでに出発の飛行機から同じ大学出身のヒロ先生が一緒だったし
インチョン空港に着いて、ハチ先生とケン先生にもすぐ合流した。


日本から●ニャン大学へ、同じ時期に雇われて海を渡った
この ヒロ・ハチ・ケン・よりこ は
韓国ノンサンへ着いたその日から
同じところに行き、同じものを食べ、同じものを買って、
同じ時間に同じマンションへと帰っていった。


いいことがあったら一緒に笑えたし、
何か悪いことがあっても話すことができた。
どこかの学会で「みなさん・・・なんというか、似てはりますね。」といわれ
大爆笑をしたことがある。
ハチ・ヒロ・よりこの女3人・・・
自分達では全然似ているとは思ってもいなかったのだが
同じようなもの食べて同じような生活をしているうちに
似てきたのかな?と大うけだった。


大学も一緒でマンションも一緒、
この2年間、おそらく家族のように(あるいはそれ以上に)
このメンバーと共有した時間は多かっただろう。
2年目にはアキさんやハルさんが加わり、スポーツ観戦、旅行、海やスキー・・・
今までになく動き回る1年になった。


また、韓国人の友達は昼夜かまわず電話で連絡をしてきて
会おう!遊びに行こう!と言う。
そんないきなり勝手に・・・なんて最初はビビッたものだが
自分からも、好きなときにそうしていいのだ、というルールがわかると
それはとても心地のいいものになった。
日本では相手のことを気遣うために、なかなか相手の中に踏み込めない関係が
多いと思うのだが
こちらに来てから、韓国人の友人やアカデミーのメンバーとは
そういった垣根をとっぱらって、いつでも話したいときに話せる
心理的に近い仲間になれた。


最初の海外生活は、韓国でのそんな2年間だった。


・・・・・・そしてハンガリーへ・・・・・・


どうしても、韓国式の人付き合いからぬけ出せない私は
ハンガリーの人の控えめさに、正直「寂しさ」を感じてしまう。
会ってすぐ友達!お酒を交わして即親友!という
あの熱〜い韓国人気質が懐かしくてしょうがない。


水曜日だけ、Z先生が私の研究室で授業をするのだが
終わった後、「あ!久しぶりに会えたね〜」と親しげに話しかけにいくと
「あ、ごめんなさい。すぐ片付けて出て行くので・・・お邪魔しました!」と
Z先生はバタバタと帰ってしまった。
もっとゆっくりしていってくれたらいいのに・・・。


たぶん彼女は、私が研究室を使うためにドアの外で待っていたと思っていた。
私は彼女と話したくて授業が終わるのを待っていたのに。


・・・・・・・・・・・・
一日中話す人がいない、一緒にご飯を食べる人がいない、
一緒に街を歩いたりわからないことを相談しあえる仲間がいない・・・
私はここに住んでいるのに。
こんな気持ち、私はいままで知らなかった。


でも、こういうこと、多くの人が経験してきたことなんだう。
大学に入学する前、東京に上京した時、新しい町にきて・・・
部屋で一人ごはんを食べたり、家の近くのスーパーを探したりしながら
「はやく気の合う人と出会えたらいいな。」と思いながらすごす数日間。


さらに海外だということで、
言葉が通じない、食べ物が違う、生活習慣が違う・・・
そういったことも加えてストレスになり、
来てから1週間は身体が常に緊張していた。
それが自分でもおもしろいくらいに分かった。
身体が本当にコチコチしているのだから。
・・・・・・・・・・・
(話が長くなってしまったが)
そういう時期の「ホンマに元気か?」という父の言葉だった。
やっぱり声で伝わるのかな〜? ^^


でも安心してください。
こうやって日記に書いているということは
やっと一人のお友達ができたという印なのです。


ハンガリー語を教えてくれるユディットさん(学生)
初めは本当に授業だけだったけど、
最近は一緒にコーヒーを飲みに行ったり
休日に買い物に付き合ってくれたり、
だんだん家族や彼氏の話など打ち解けた会話もできるようになりました。


そのことで、私もようやく落ち着いて
旅の指さし会話帳」を片手にスーパーに行き、
一人でハムの量り売りに挑戦することができました。(笑)
やっぱり、言葉がわからないからこそ、
まず自分の方からいろいろと行動しないとね。


さてと!今日もこれから出かけてみます。
素敵な出会いがあるかもよ〜 ^0^