呼吸があらくなる

昨晩、信じられないことが起こった。


私も授業を担当しているパクさんが交通事故でなくなった。
1年生の女の子で、まだ19歳だった。


彼女が運転していた車が、少し視界の悪いカーブで
中央分離帯にぶつかってしまった。
その時はまだたいした事故ではなく
本人がすぐにレッカー車を呼んだという。
レッカーで車を移動してもらっている時、
彼女はその近くで誰かに電話をかけて
「事故おこしちゃった。」と話していたそうだ。


しかし、そのレッカー移動の作業中・・・
レッカー車に気がつかなかったバスが事故現場に突っ込み、
電話中のパクさん、レッカー移動中の作業員さん
2人とも亡くなってしまった。
即死だった。


・・・
私がその知らせを聞いたのは、昨日の夜9時ごろだった。
私は研究室にいて、帰る準備をしていたのだが
同僚のO先生がその知らせに来てくれた。
頭にカッと血が上って
「え?私、今日夕方話したんだけど・・・ え。来週の約束とかしてさ・・・」
と、しどろもどろになって座ったり立ったりした。


パクさんはその日、1・2時間目の授業を休んでいた。
午後3時前に「いま研究室に行ってもいいですか?」と連絡がきたのだが
実際に研究室にきたのは3時15分頃だったと思う。
「今日、授業を休んですみませんでした。」
「どうしたの?」
「今日は私の母が体の具合が悪くて、私が病院まで車で送って行きました。」
という話をした。


それから、
「今度、よりこ先生とライアン先生を家に招待したいです。」
「え〜?!招待?なに なに」
「私の母に紹介したいので、遊びに来てください。」
という話もした。


数日前、私と英語のライアン先生がテジョンの夜のクラスに行くときに
パクさんと3人一緒になっていろんな話をした。
彼女はバス停のすぐ近くのマンションに住んでいて
降りるときに「ここが私の家なんです!!」と言っていた。


「じゃあ、ライアン先生にも聞いてみるね。いつがいいかな?」
「来週の夜とか・・・」
「平日でいいの?」
「はい。 はい。」
そんなやりとりをして、
「じゃあ、また明日〜」と別れた。


私が何かしたところで何も変わらなかったかもしれないけど
あのときに、
授業のプリントを説明したり、テストの日程を話したり
お茶でも入れてもうちょっと話を長くしていたら・・・
あるいは「運転気をつけて」と一言かけていれば・・・と
考えても仕方のない「〜たら」「〜れば」を、たくさん考えた。


あ、ごめん ごめん。ちょっと もう一回!
とほんの少しだけ時間を戻したい気分でいっぱいになった。
O先生の言葉を聞かなかったことに。
実は誤報だったりして。
まだ病院で、奇跡的に息を吹きかえすかも。


そんなことを考えながら
キム先生の車でお通夜の式場に行った。
まだ何もかもが準備中で、
待合室は学生達や親戚の人たちでがやがやとうるさかった。
「いったい何がどうだったの?」という声が飛び交っていた。


キリスト教の幕が張られ、歌が始まり、
棚に果物が置かれ、写真が運び込まれ、その写真が白い花で飾られた。
写真をみてお母さんが泣き崩れ、小学生の弟さんが背中をさすっていた。
お母さんの悲しみ方が本当に痛ましかった。


子供の名前を呼び続け
「イロナ! イロナー!!」 (起きて!起きなさい!!)
「ネガ チュゴシッポ」    (私が死にたい)
「オットケ!!」        (どうして!!)
最後には
「チベカジャー!!!」    (家に帰ろう!!!)
と半狂乱で叫びはじめ、親戚達に抱え込まれていた。
弟さんはまだ小さく、一度泣いて部屋の外に出て行ったが
それは姉を失ったことへの涙ではなく
母が泣き続けることに「悲しさ」と「怖さ」を感じて
思わず流れた涙だと思った。


写真をみて私もこらえきれなくなった。
「何やってんのよ・・・」とつぶやいたら
涙がじわーっと出てきて、鼻水もとまらなくなった。
「来週の約束はどうするんよ・・・」
まだ全然、信じられないし実感もわかないのに
涙が出たのは、お母さんが泣いている姿をみたからだろうか。


・・・しばらくしたら電話がなった。
少しみんなから離れてから受話器をとると
「ヨボセヨ?」(=もしもし?)と韓国語で話しかける
私のお母さんだった。
夜も遅かったし(11時すぎだったか?)
この偶然に本当にびっくりしたのだけれど
「そういえば今日の昼に自分が留守電いれてたんだ」と気がついた。


家族はみんな元気で
「いつ帰ってくるんやー?」
クリスマスパーティーはいつしようか?」 なんて話をした。
私は今とても幸せだけど
一瞬でこれが消えることもある。
・・・そう思うと本当に怖くなった。


父も母もよく言う。
「車には気をつけて!」
特に父は、何度も何度もくりかえして言う。
「一瞬やぞ」
本当にあっという間なのだ。


どうか、みなさん気をつけて。
元気で また笑顔で会いましょう。
お願いしますよ。ほんとに。


それでは・・・
おやすみなさい








目が大きくて、小顔で、美人。
おしゃれで、よく一人で行動する強気な女の子だった。
ライアン先生が好きで、英語も日本語と同じくらい上手に話した。
自分が発表をするときには
「うるさい!しゃべるな!」とクラスのみんなをビビらしながら
私と二人の時には時々赤くなった。


パクさんはそういう人だった。
・・・・・
パクさんのご冥福を心よりお祈りいたします。